アジアコンテンツフェスティバルin神戸

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【イベントレポート】ガイナックス武田康廣スペシャルセミナー(前編)

■前編

2011年5月29日「神戸電子専門学校」エントランスホールにて

神戸電子専門学校を会場にしてのACF(アジアコンテンツフェスティバルin神戸)ゴールデンウィークスペシャルの初日に行われた、武田康廣さんのスペシャルセミナーのレポートをお届けします。

●見よう見まねでやってみる

アマチュア時代に武田さんが作った映像作品などを上映するところから、お話がスタートしました。果たして、気になるトークの内容は?

(「DAICONIII」「DAICONIV」※1のオープニングフィルム。「愛國戰隊大日本」※2のオープニング映像、「帰ってきたウルトラマン」※3のオープニング映像、さらには秘蔵のメイキング映像を上映)

武田:これは80年代に大阪で行われたSF大会というイベントの時に僕が、仲間と一緒に作ったものです。

武田:(「帰って来たウルトラマン」の映像を観ながら)みなさん学生さんたちと同じ年齢の頃ですね。当時ですから8ミリカメラで撮影してます。結構オープニング、出来がいいんですよ。あ、音楽は全て本物のウルトラマンのものを勝手に使っていますね(笑)。

武田:セットも全部紙で作っていますし、ミニチュアも紙。重いと撮影に不便なので、全部紙ですね。動きは手で動かしているだけ。衣装なんかは、スタッフに縫製業をやっている家の子がいたので、そこに頼んで作っていますし、予算はかなり押さえて作られていますよ。

武田:さらに、メイキングまでわざわざ撮っています。なぜかというと、その時「後で売れるな」と思っていたからなんです。当時、海外の映像作品、たとえば「スターウォーズ」なんかはメイキング映像を売っていたんです。それを見て、ぼくらも絶対売れる!と思って作りましたよ。とにかく、全てが見よう見まねでやっていたんです。それが過去から現在に至っています。

●成功からは学べない

武田:言う事聞かないでやるので、失敗してるところが、たくさんあります。でも面白いですよ。そもそも、失敗して後悔しないと何も覚えない。成功すると絶対に覚えませんよ。なぜかというと、次の事を考えますから。「オレもう出来る」と思い込んで他の人に先輩面するようになるだけです。

武田:一個や二個の成功では経験値になりません。たまに成功して褒められるのは嬉しいけど、どこかで失敗しておかないといけないんですよ。私も、その後、色々失敗しています。でもそのおかげでいろんな事を覚えられた。

武田:今はこんな風にスーツを着て仕事をしていますけれど、現場に帰ったら作業服になって作業しますよ。失敗しながら覚えた現場での仕事は絶対に忘れないから、この年齢になっても出来るんです。

●人に見せる事が大事

武田:今度、米子で映画祭※をやるんですが3分の映像をみんなで集めて、観てみようというイベントです。この作品を現在募集しています。3分ならみんなが作れる。今なら編集だってパソコンやiPhoneで出来ます。みなさんも出来たら、送って下さい。とにかく自分たちで考え、何でもどんどん作る事が大切。

武田:本格的な映画を35mmフィルムで作って、映画館で見せるのは大変ですよ。でもiPhoneで作ったものでもいい。3分だっていい。こういったきっかけがあった方が面白いし、他人と比べて「オレの方が上手い」と図にのって、自由奔放にやるのも若さの特権ですよ。僕たちからみたら、若い奴らは自由にやりやがってと思うんですけれども(笑)

武田:YouTubeで流すのだっていい。とにかく、作品を何か作る。そしたら「人を呼ぶ」、「見させる」うまくいけば「買わせる」という事をした方がいい。人に見せて、生で見せて、どのくらい受けたかな?というのを体験する事って、面白いですよ。

武田:大人になって失敗するとダメージがでかい。じいさん、ばあさんになったらプライドの固まりです。若いうちに失敗する。これがいちばん重要だと思います。「失敗せえ、失敗せえ」と、これからの人たちに言うのはおかしな話だけども、少なくとも、僕の経験では「失敗」が大事!大人の言う事を真に受けずに、自分で判断してやってみて下さい。

※1「DAICONIII」「DAICONIV」
それぞれ1981年、1983年に大阪で行われたイベント「日本SF大会」の愛称。
※2「愛國戰隊大日本」
武田氏率いるダイコンフィルム制作、による特撮ヒーローのパロディ作品。
※3「帰ってきたウルトラマン」(ダイコンフィルム版)
同ダイコンフィルム制作によるアマチュア8mm映画作品。

 

[プロフィール]
武田康廣(たけだ やすひろ)

1957年(昭和32年)9月12日、大阪・泉州忠岡町に生まれる。

近畿大学原子炉工学科に在籍中に所属したSF研究会をきっかけにSFファンダム活動を始める。
初めて参加したSF大会に触発されて、学生時代よりSF大会等のイベントを企画・開催する。
山賀博之を中心に、映画「王立宇宙軍~オネアミスの翼~」を制作する為に1984年ガイナックスを設立。(発起人、取締役として参加。)
ガイナックス制作のアニメ・ゲームを中心に、プロデューサーとして携わった作品多数。

現在は、ガイナックス取締役・アニメーション製作本部長、京都コンピュータ学院・京都情報大学院大学教授として活躍中。

【イベントレポート】 さくまあきらスペシャルセミナー(後編)

2011年4月29日「神戸電子専門学校」ソニックホールにて

神戸電子専門学校を会場にしてのACF(アジアコンテンツフェスティバルin神戸)ゴールデンウィークスペシャルの初日、あの桃太郎電鉄の生みの親、さくまあきらさんのスペシャルセミナーが行われました。今回は、スペシャルセミナー再録の第二回です。


●横浜優勝の年、追っかけすぎて「桃鉄」が飛んだ!

-「桃鉄」シリーズは、毎年出しているんですよね。

さくま:はい。毎年です。でも訳ありで1度だけ出なかった。1998年です。なぜなら、横浜ベイスターズが優勝しそうな気配だったので、「仕事はしません」と宣言して、球団を追いかけてしまったからです。

-シーズン中、横浜の追っかけをやってしまったということですか?

さくま:……はい……。甲子園球場で、優勝の瞬間を見ました。

-何試合くらい追っかけたのですか?

さくま:ほとんど全部です。あらゆる球場での試合を全部買って。それこそ友達だのみですよ。その業界の友達に融通してもらって、ほとんどのチケットを揃えたんです。で、終わって気がついたら僕、ラジオ番組のレギュラーが3本増えていた。無理を言ってチケットを融通してくれた友達に、「これだけ協力したんだから、ラジオやってくださいね」って言われたんです。

-長年のベイスターズファンなら、あの年は応援したかったでしょうね。

さくま:38年優勝していなかったからね。これはもう行っておかないと。

-で、その年は「桃鉄」が出なかったわけですね。いやあ、1本飛んでいたとは、知らなかったですねえ。


●震災で物件が被災……復興を願って、今年は発売中止

さくま:実は、今年も出ないの。

-おや、それは一体どうしてなんでしょう。

さくま:ベイスターズは関係ないです。シナリオも完成していたんですが……東日本大震災が起きました。うちのゲームには、あの土地の物件も全部入っているんです。津波の映像を見ていると泣けてきちゃうんです。実際に歩いたところが、みんな流されてしまったから。今、そこには物件がないんですよ。

-リアルにないんですね。

さくま:そこに物件がないのに、知らん顔して出すのはおかしいでしょう。だから今年はやめようと決めました。そして復興して再開したところを取材して、来年以降出せたらいいなと考えています。日本一赤貝のおいしいお店なんかも、ネットだけでしか状況がわからなくて……。お店の人がやっていたツイッターが、「今日もいい天気だ! 一日頑張ります」というつぶやきを最後に止まったままだったりするんですよ……。

-心配ですね……。

さくま:でも、うちの家内がその店の社長さんの名前をインターネットで調べて、色々問い合わせていたら、避難所にいたことがわかったんですよ!そういうこともあるから、向こうの人たちがお店を再開したら、また取り上げるんです。今年1年間はみんな精一杯頑張って、来年以降きっと復活できると思うんですよ。

-なるほど。

さくま:中止を発表したとき、被災地の人から「出してほしい」っていう声があってね。びっくりして、一瞬どうしようかなと思ったんだけど、さすがにちょっと間に合いそうになかった。

-仕方ありませんが今年は出ない、ということですね。


●世界旅行に行きたくなる、初の世界編「桃太郎電鉄WORLD」

さくま:ケータイのほうでは、種類がたくさん出ています。近畿、中国、四国とか、そういうエリアは1周したので、今度は青森とか各都道府県をピンポイントで行こうかと。5月1日からは静岡が出ます。静岡だけの「桃太郎電鉄SHIZUOKA」。

-ずいぶんローカルですね。

さくま:今、東海地方の三重県、愛知県、岐阜県の3県をまとめたものを制作中です。取材の真っ最中。

-さくまさんは、どれくらいのペースで取材に行かれるんですか?

さくま:1年の3分の1くらいが取材でしょうか。100日ちょっと。

-残りは?

さくま:仕事をしています。

-じゃあ全部仕事じゃないですか(笑)。

さくま:そう、僕って仕事しかしていないんです。電車に乗っている間もずっと何か考えてる。趣味は仕事です。テレビの企画、出版の企画などを考えるのも大好きなんです。楽しいから。いわば国王みたいなもので、好きにつくれる。だから楽しい。

-現在発売中の「桃太郎電鉄WORLD」は、どんな内容なんですか?

さくま:「桃鉄」初めての世界編です。

-さくまさんは飛行機が嫌いだと聞いたことがあるんですが、「桃太郎電鉄WORLD」はどうやって取材したのですか?

さくま:そう、飛行機には乗れません。僕は北海道にも電車で行きます。実は、ありとあらゆるDVDを見てつくりました。

-(笑)

さくま:200枚くらい見ましたよ。ナポリならもう歩けます。行ってないけど(笑)。だって、いずれにせよ全部は回れないでしょ。戦場カメラマンの渡部陽一さんだって、20カ国ぐらいですよ。日本編の場合は、地元の方が買ってくれるわけだから、やっぱり実際に行ってないとダメです。でも「桃太郎電鉄WORLD」はそうじゃないでしょ。そこに行ったことのない日本の人が行きたくなるようにすればいいと考えたんですよ。

-なーるほど! それだけのDVDがあれば、すごく勉強になりそうですね。

さくま:うちのスタッフは異様に世界地理に詳しくなりました。テレビのニュースが楽しくなったと言っています。どこそこで事件が起こった、とかね。

-その場所がすぐわかりますもんね。

さくま:「あっ、2マス目だ」なんて言ったりしてます。

-マス目で言っちゃうんですか。

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●元祖「桃伝」「桃鉄」のプログラマーから生まれたiPhone版

さくま:iPhone版の「桃太郎電鉄JAPAN+」の評判が良かったんですよ。やっぱり、指でタッチして送るのがいいみたい。

-ああ、そこはガラケーよりいいですね。

さくま:24年前に「桃太郎伝説」「桃太郎電鉄」のプログラムをつくったハドソンのプログラマーが、「iPhone版をつくらせてくれ」と20年ぶりに現れたんです。その男が、天才なんですよ。本当にうまいの。ただ、iPhoneを持っている人はまだ少ないですよね。東京だけなんですよ。しかも、渋谷と六本木だけ。小田原へ行ったら誰も持っていない(笑)。ギャラクシー・タブもいいですよねえ。あれはほしいなあ。

●「桃鉄」の未来は? 現在、色々な可能性を模索中

-今後、「桃鉄」シリーズをどう進めていくのですか?

さくま:今、それを色々と考えているところなんですよ。まだはっきりしない部分も多くて、確かなことは言えないのですが、「日本のいいところを紹介する」という基本は変わりません。しばらく青森に凝っていたので、今度は九州あたりに行こうかなと……

-「桃鉄」の未来計画はまだ思案中ですが、これからも面白いことをやっていくぞということですね。

さくま:もう来年は還暦なんですよね。

-そうなんですか?!全然60とは思えないです。

さくま:自分でも思わないんだけど、しょうがないよねこればかりは。

-:今日はありがとうございました! あと40年くらいは続けてくださいね!

さくま:無理だって(笑)。
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[プロフィール]
さくまあきら氏
東京出身、1952年生まれ。『桃太郎電鉄』シリーズのゲーム監督にして生みの親。ゲーム製作のために全国各地を駆け巡り、自らの目と舌で情報収集を行なっている。物件駅に登場させる食べ物は、自身が「美味しい!」と感じたものだけなのだとか。

 

【イベントレポート】 さくまあきらスペシャルセミナー(前編)

2011年4月29日「神戸電子専門学校」ソニックホールにて

神戸電子専門学校を会場にしてのACF(アジアコンテンツフェスティバルin神戸)ゴールデンウィークスペシャルの初日、
あの桃太郎電鉄の生みの親、さくまあきらさんのスペシャルセミナーが行われました。

この日のトークでは桃太郎電鉄の開発にまつわるお話をきっかけに、これからゲーム業界に出て行こうとする
学生たちへのアドバイスもいただきました。

●「桃鉄」の企画書は8ページしかなかった

-みなさんもご存じ、ボードゲーム「桃太郎電鉄」の作者が、さくまあきらさんです。1952年生まれ、58歳なんですね。

さくま:1952年って、第2次世界大戦から数えたほうがずっと近いんだよね。戦時中生まれ?なんて言われることもあります。

-ここのみんなは平成生まれですからね。

さくま:平成とか昭和の人間なんていう言い方をよくするけど、うちの娘なんて昭和61年生まれなのに、
僕と同じ昭和の人間って分類されちゃって、かわいそうです。

-みなさんが生まれたころにはもう「桃鉄」はあったんですよね。今年で何年目ですか?

さくま:24年目かな。

-「桃鉄」の前に、RPGで「桃太郎伝説」がありましたね。

さくま:僕のデビュー作です。この4月に初めてリメイクしました。リメイクには、ポケモンをつくっていた初期メンバーがチームに入りました。

-ずいぶん豪華ですね。うわさによると、「桃太郎伝説」をつくるとき、「ドラゴンクエスト」の堀井雄二さんも……

さくま:そうそう。まず企画書が通らないとダメなので、企画書を書いたんですが「協力:堀井雄二」と勝手に入れちゃった。

-勝手に?

さくま:次の日ちゃんと電話で言いましたよ。もう提出は終わってたけど(笑)。その企画書が、24年ぶりに発掘されましてね。プログラマが持ってたんですよ。みんなで見て、「これはひどいよねー」と。3ページくらいかと思っていたら、8ページありました(笑)。

-たったの8ページでゲームを1本つくったんですか。

さくま:当時、『少年ジャンプ』の読者ページ「ジャンプ放送局」を担当していて、その紙面にある土居孝幸のイラストをコピーして企画書に貼り付けて いたんです。だから、その時にまだ桃太郎が出てきてないんですよね、「こんなキャラクターになります」というサンプルもないし、手描きのものがちょっと あっただけで、ほかは何にもありませんでした。一応僕の名前と土居君の名前があって、次がポイント。音楽がサザンオールスターズの関口和之君、協力が堀井 雄二。

-その企画書で通ったんですね?

さくま:通りました。

●スキルを磨くよりも、いい友達をつくるほうが仕事になる

-さくまさんは、当時も今も、友達がすごいですよね。

さくま:偶然、“当たる”んですよ。偶然が重なる。堀井雄二なんて、僕の周りでは「あいつ将来どうするんだろう?」なんて言われるぐらいダメだったし。草野球チームでは補欠だし。

-それは関係ないでしょう(笑)。

さくま:今まで一度もヒットを打ったことがないヤツなんです。うちのチームでは「あいつは野球ではノーヒットだったけど、人生では大ヒットだったな」なんて言ってますよ。

-おあとがよろしいようで。ほかにはどんな友達がいらっしゃいますか。

さくま:「ポポロクロイス物語」を描いた漫画家の田森庸介さん。彼は学生時代の仲間です。当時はみんな、漫画研究会の仲間だったんです。みなさんも 今後絶対に経験すると思うので、ここで断言しておきますけど、この業界では、仕事は友達つながりで入ってくる。というよりむしろ友達にしか声がかからな い。才能は二の次です(笑)。

-えっ!!

さくま:誰がどこに就職して、どうなるかわからない。まあ堀井雄二が「ドラゴンクエスト」をつくったというのは有名なんだけど、漫画『ゴルゴ13』の原作を2作書いていたのは知られていないでしょう。これは彼の大学の漫研の後輩が編集者になって、彼に頼んだからなんです。

-『マッチ棒パズル』もありますよね。

さくま:あれは、出版社にいる僕の同級生が堀井に頼んだものです。その同級生は堀井が有名になったことを知らずに、無名のころのような感じで依頼し ちゃった。堀井は「ドラゴンクエスト」をつくりながら、「マッチ棒を1本ずらすと形が変わる」みたいなパズルの本を書いていました(笑)。僕からもあとで 謝りました。

-断らなかったんですか?

さくま:堀井は基本的に、頼まれると断れない人なの。泣きながらやってましたよ。とにかく、この業界では優れた才能がないとやっていけないと思っているかも知れないけれど、違うんですよ。これは伝えておきたいですね。

-才能はあとからですね。

さくま:最後はお客さんにかかっていますから、買ってくれなかったらいくらコネがあってもダメなんだけど、スタートに立って、準決勝、決勝までは、やっぱり友達ですよ。どんな薄い縁であっても。バカ、バカって言ってバカにしていた出版社の友達なんか、今社長ですよ。

-周りの人が立派になっていったら、自分も影響を受けますよね。今日も、元気をもらった気がします。

●触ると売れる……幸せをよぶさくま氏のカラダ?

-では、「桃鉄開発秘話」を聞いてみたいと思います。僕がいちばん聞きたいのは、どうして貧乏神が誕生したのかということなんですが。

さくま:これは大学時代の漫研の仲間がモデルです。縁起の悪いヤツでね。新しく出たゲームを買うときも、売れないほうを買うんです。

-ああ、引きが悪いんですね。

さくま:昔のビデオもね、ベータとVHSがあって、ベータを選んじゃうようなヤツなの。MacとWindowsが出たら、Macを20台ぐらい買っ てしまったり。だから僕らは、何か買おうと思ったらまず彼に電話をして、「どれ買ってる?」と聞くんです(笑)。あるとき、堀井が「ドラゴンクエスト」で 当てたもんだから、彼もゲームをつくりたいと言い出した。僕らも協力したので、企画は通りました。でも制作が遅れて、翌月にスーパーファミコンが出るとい うときに、ファミコンで発売しちゃった。

-すばらしい!

さくま:全く売れませんでした。そんなふうに、絶対に反対側をとってしまう。いわゆる“持ってない”んですよ。逆斎藤佑樹。運がいい人悪い人、確かにいるんだけど、自分で「おれは運がいい人間だ」って思っていたほうがいいですよ。

-さくまさんに触ると運が良くなるといううわさを聞いたことがあります。

さくま:そのうわさは、知らないうちに吉本興業の芸人の中で広まっていたものです。「触ると売れる」って(笑)。10年前知り合いになった芸人たちの中に、陣内智則君がいます。途中ちょっと神戸らへんでこけたことがあったけど。結婚式も出たのに。

-次、行きましょう(笑)。

さくま:ケンドーコバヤシ君。彼は、しゃべれるようになるまで3年かかったくらいあがり症でしたよ。そして野性爆弾、バッファロー吾郎。バッファ ロー吾郎の木村君なんて、今原宿に住んでいます。でも全然原宿が似合わない。竹下通りを歩いていても、誰一人声をかけないんですよ。でも、キングオブコン トで優勝したよ。

さくま:競馬で当てた芸人もいます。シャンプーハットのてつじ君は、僕を触って、100円を180万円にしましたよ。さらにそのあと、700万円当てたという(笑)。

最近は、吉本の芸人さんと食事をすると、大変ですよ。触られまくるんですから。

-ぜひ触らせてください。

さくま:仕事運は良くなるんだけど、女性運は悪いですよ。

-一番大事なとこがダメなんじゃないですか!(笑)

●つながりを生かして、強引に友達になってしまうさくま氏

-開発の苦労話を聞かせていただけますか?

さくま:うーん……たぶん、他人からすれば苦労に見えることを、苦労と思わないんでしょうね。それに、自分の好きなことをやっているわけですからね。日本中のB級グルメを食べ歩いて、その中で自分の気に入った物件を紹介するんですから、楽しいです。

-では、どんなことを苦労と感じますか?

さくま:アイデア……っていうのも、色々やっていれば出るようになってくるから……強いて言えば、人とのやりとりでしょうか。こっちの方が大事です ね。先ほどから、いい友達をつくりなさいと言っていますけれど、いい友達を見つけることには、苦労があるかもしれません。相手の強みや弱点をよく理解しな いといけない。友達の弱点をカバーしてやれることが重要なんだから。

-友達をよく見るんですね。

さくま:僕は作曲家のすぎやまこういち先生に、無理やり友達になってもらったことがあります。面識が全くないもんだから、「高校の後輩なんです」っていう理由だけで。

-その理由だけで切り込んで行ったんですか?

さくま:やっと仲良くなれて、そのときやっと、すぎやま先生が20歳も年上だってことがわかったんです。後輩だったら、思い切りかわいがってもらえ るよ。神戸電子の先輩だって、同じ業界にいるんだからね。「後輩です!」って連呼して、その先輩の好きな手土産でも持って行けば、会ってくれるかもしれま せんね(笑)。

-後編へ続く

[プロフィール]
さくまあきら
東京出身、1952年生まれ。『桃太郎電鉄』シリーズのゲーム監督にして生みの親。ゲーム製作のために全国各地を駆け巡り、自らの目と舌で情報収集を行なっている。物件駅に登場させる食べ物は、自身が「美味しい!」と感じたものだけなのだとか。